37歳東京のフリーランス営業だった私が180度方向転換したきっかけ

柏木です。海外への移住、副業・転職…大きな意思決定をする人は一体どんな葛藤を経て動いたのか?を教えてもらうシリーズ。

今回から「とりあえず日本を出るわ。世界のどこかで移住が決まったらそこにすんだら良いし。」と海外へ飛び立ち、メキシコへの移住&仕事が決まったワカさんに寄稿いただいております!

キャリアアップでも自分磨きでもなく、「離婚」が引き寄せた海外への扉~

はじめまして。メキシコ在住のワカと申します。

ミライヘのかっしーさんとのひょんな繋がりで、海外で暮らし働くことになった私の、ここ数ヶ月のリアルを記事にさせてもらう事になりました。
抜きん出たスキルや学歴もない、ずば抜けた社交性もない、普通の社会人だった私。たった一人海外で、人との繋がりや行動力だけを頼りにたどり着いたここまでのあれこれを公開します。
第一回目は、日本を飛び出すきっかけとなった出来事について。それでは早速、どうぞ!
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「……というわけで、離婚したほうがいいと思うんだよね。」

結婚5年目のある日、品川区の安い居酒屋で私の生活を一変する言葉が飛んできました。約8ヶ月経った今でも覚えているあのときの正直な気持ち。それは、悲しいでもむかつくでもなく「やっぱりな」という諦めに近いものでした。


もちろん離婚に至るまでには色々とありますが、一言で言ってしまえば会話不足だったと自覚しています。
どんな内容でもとことん話せるのが嬉しくて一緒にいたはずなのに、気付くとそれが難しくなってきて。相手に気を遣って、というより、顔色を窺って聞きたいことをストレートに口に出せなくなっていました。
「あのときは、こういう気持ちだったの。」

「あのときの表情が、態度が、辛かった。」
手遅れなのはわかっているけれど、最後にようやく伝えられた本音。どこまで伝わったのか知る由も無くても、一部でも吐き出せたことは、私にとってプラスであったと思っています。
少しのズレやひずみを見ないようにした結果、溝が深まり、目を見て会話をしない状態が私たちのスタンダードになり、静かに終わってしまった結婚生活。
いざ離婚が決まると、やらなければならないこと、考えないといけないことがいくつかあります。書類関係、名字が変わることに伴う多くの名義変更、そして新生活について。

離婚の話を切り出されたのは2019年GW明けの週末で、その翌日に私はネットで新しく住む場所を検索していました。「どの沿線にしようかな。いや、福岡に帰るという選択肢もあるな。」なんてぼんやり考えながら。
でも、そのとき私が住んでいたのは、都内でも立地の良いところで広さは1LDK。予算を決めて探してみると、どう頑張っても「今より全てが劣る、ワクワクしない部屋」に住むことがほぼ明確でどんよりした気持ちになっていきました。

そんな部屋探し3日目の水曜日。急にある考えが頭をよぎりました。
「なんで私は東京か福岡の二択で考えているんだろう?そもそもなんで日本限定?これって、もしかして日本を離れるチャンスなんじゃないか?」
と。閃きに近い感じだったかもしれません。それでも、心がざわつき、「やばい。なんかすごく楽しいことが始まる気がしてきた……」と一瞬で気持ちが切り替わったのを覚えています。
思い付いたら実行の可能性を探りたくなるのが私の性格で、その日から「海外移住」をキーワードに、国やビザや必要金額を考える日々が始まりました。
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第一回はここまで。

次回は、私がそれまでにやっていた仕事などについて触れようと思います。

buen día!

( おまけ )

そういえばかっしーさんに元夫との関係を相談したとき(まだ離婚の話が出る前)、やたらと「今、読むべき本」を強要されました。時には、話し合いのロープレまで。。。
実はかっしーさん、前職の後輩なんですけどね。「今日、めっちゃ眠いんすわ〜(てへぺろ)」となぜか前置きしながら(いちいち言わなくていいのに。)飲みに付き合ってくれたりもした、懐かしい思い出でもあります。

(かっしーの感想)
岐路に立ったとき、判断を先送りして、「ここではない何か」にオアシスを求めることってあります。(それがにっちもさっちも行かなくなるとき、動き出すのかも知れないけど)周りから見てると…自然とその選択をしたのかな〜と思うほど、美談に聞こえることが多い、「移住」。

移住した後の話を聞くことはあっても、中々決断をするまでの話を聞く機会ってなかったなぁと思い、書いて頂きました。

当たり前なんだけども、本当は皆いろんなことを考えながら選択してるんだよなぁと思いました。。。次回もまた、メキシコよりお届け頂く予定です!


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