こんにちは、メキシコ在住フリーランスのワカです。(これまでの記事はこちらから。)
早くも第2回。今回は、私のこれまでの仕事や葛藤について書きたいと思います。仕事を始めたばかりの20代も大変だったけれど、30代の悩みはまた別物ですね。
私の考え方や働き方、周りとの関わり方に大きな影響を与えたのは、間違いなくリクルートでの営業経験です。面白い人が多かったし、死ぬ程働いたという自負もある。そして、仕事やビジネスの話が好きな人多い。それが故、自分の状況によっては「今は話すのが辛い……」という気持ちが生まれたりもする。
皆さんはいかがですか?
仕事、楽しいですか?
勝手に人と比べて辛くなること、ないですか?
それでは、スタート!
+++++++

最終的には「フリーランスの営業」に落ち着いた私ですが、ここに至るまでには長~い道のりがありました。文章にするとごちゃごちゃするので、まずは職務経歴書風に書き出します。
2001年4月~2005年3月:(株)JALカーゴサービス
2005年4月~2012年8月:(株)リクルートジョブズ
2013年5月~現在:ウイッグ事業で起業
2014年4月~2018年3月:業務請負&派遣
2018年4月~現在:フリーランス
「空港で働きたい」から始まった私の社会人生活。それがいつしか「一生働きたい」になり、「好きな時に海外に行きたい」という我儘が加わり、徐々に変化していきました。
JALでは700キロ前後のコンテナを飛行機のどこに載せるか調整したり、パイロットに危険物搭載のサインをもらいに行ったり、まさに”裏側”の仕事で興味が尽きることはなく。ただ、年齢を重ねた後にシフト制(早朝5:30~22:30の間)勤務で働くイメージが沸かず、転職を決意。
特に仕事内容も理解せず受けたリクルートになぜか拾われ、営業現場の第一線で空港のシフト勤務を軽く超える激務を経験しました。キツさのあまり「3ヶ月で辞める!」と豪語していたのに、気付けば7年以上在籍。大企業・中小零細企業問わず、法人営業全般に携わりながら、チームのメンバーと伴走するチーフ業務も任せてもらいました。
その後、地元福岡で起業。27歳のときに自身が経験した全頭脱毛に悩む女性の気持ちに寄り添うため、美容室と提携してウイッグや帽子の相談販売をスタート。(ネットで現在も継続中。)
1年後、当時お付き合いをしていた元夫の転勤に伴い東京へ。業務請負&派遣の時期には、固定で籍を置くのではなく、「MAX3ヶ月以内」の繁忙期限定の仕事をし、それがひと段落したら旅行に行く、というなんとも自由な働き方を選択。あまりお金はないけれど、仕事以外のやりたい事を優先していた時期。
そしてフリーランスの道へ。一度リクルートで死ぬほど働いた私は派遣での業務の幅に疑問を抱き、「もっと働いて、もっと稼ぎたい。時間じゃなくて成果で評価される仕事がしたい、」と思うように。リクルート時代の上司からの後押しをきっかけに、”営業”を武器に独り立ちする運びとなりました。
こうツラツラと書くと、それなりに好きなことをして上手くやっているように見えるかもしれませんが、実は2014年4月以降は自分と周りを比べて悩むことがよくありました。

自分も周囲も30代に突入し、任される仕事も増えて人によっては肩書も変わってくるころ。SNSでは毎日のように「こんなプロジェクトやってます!」「転職して、このサービスを社会に広げる忙しい毎日です!」……そんな報告が嫌でも目に入ります。
そんな中、気ままに派遣で働き、起業したウイッグ事業も趣味のような位置づけ。フリーランスになってからも、周囲のような大それた仕事をしている訳ではなく、リクルート時代の知り合いとの間に、見えない壁のようなものを感じるようになりました。
昔の知り合いに会えば、必ずといっていいほど聞かれる「最近、何やってるの?」という質問。それに答えたくなくて、人と会うのが怖くなったりもしました。仕事やビジネスの話が好きなのは私も同じだったのに、自分だけが前に進んでいないような感覚。
勝手に自分と周りを比べていたんですね。
仕事なんて、本来自分が満足していればそれでいいはずなのに、「人にすごいと思われないと、話す意味なんてない」そんな風に卑屈になっていた気がします。だから、近況を聞かれているだけなのに、
「どうせこの前と変化はないんでしょ?」
「個人事業主って、やっぱり苦しいでしょ?」
そんな裏があるような気がして、わざと上手くいっているように大袈裟に話してみたりして。でもそんな自分が馬鹿らしくて「何やってんだろ。飲みに行くのやめよ。」なんて自分の殻に閉じこもってみたりもして。
いくつかの仕事をいただいて、お金の面では多少の余裕があったのにもかかわらず、「このままでいいのかなぁ?」という気持ちだけが膨らんでいきました。
特に興味のある分野があるわけでもなく、学びたい欲があるわけでもない。一生をかけてやりたい事がある!なんて、死んでも言えない状態。
30代も後半になってくると、そんな自分が薄っぺらく感じて、もはや何をどうすれば良いのか完全に進むべき道を見失っていました。
そんな葛藤もあって、一度全てをリセットしたくなったのです。
そうそう、経営コンサルトの大前研一さんの言葉で有名なものがあります。実はこれも、当時よく思い出していたことの一つ。
「人間が変わる方法は3つしかない。一つ目は時間配分を変えること。二つ目は住む場所を変えること。三つ目は付き合う人を変えることだ。最も無意味なのが〝決意を新たにすること〟である。決意だけでは何も変わらない」
かくして私も、新たな扉を開けることとなります。
次回は、私がずっと感じていた生き辛さについて。日本で生まれ育ったのに、事あるごとに感じていた ”ここじゃない” という想い。今まで言葉にできなかった感覚を、文字に起こしてみます。
¡Hasta luego!
(かっしーの感想)
リクルート在籍だった頃は、結構身近な存在だったのに一度も話すことなく仲良くなることもなく、数年後にとあるきっかけで仲良くなった先輩なのですが、ワカさんの強さは、「SOC = Sense Of Coherence」が高いからなのだと思いました。
SOC:首尾一貫感覚=人生のつじつまを合わせ、困難をあとから振り返って良かったと思える力
環境を変えられて生活していくワカさんがこれからどんな道のりでメキシコにたどり着いたのか。ここじゃないってどんな感覚なのか?楽しみです。
北原 和司子 (きたはら わかこ)
(株)JALカーゴサービス、(株)リクルートジョブズを経てウイッグ事業で起業。その後メーカーでの新卒採用業務やスナックでの接客、住宅情報誌&ネットのADなど幅広い業界を経験し、フリーランス営業へ。現在は海外移住を目指しメキシコシティにて奮闘中。
★他、執筆中の記事はこちらから→https://note.com/maenimaeni