~我慢できることと、できないこと。天秤にかけたら海外一択だった~
こんにちは。メキシコ在住フリーランスのワカです。
連載第4回。「生き辛さ」という少し重いテーマのもと、前編では ”とは言え、日本は暮らしやすいはずだよね?” といった内容をお届けしました。(これまでの記事はコチラから。)

他の国に行く度「ここに住んでみたいな」と思う理由。
東南アジア、ヨーロッパ、アメリカ。15ヶ国ほどを訪れて、毎回よぎるこの気持ち。単に「街並みが綺麗だから」「料理が好きだから」「人が優しいから」そういうことではないと、自分でなんとなく気付いていました。
- 現地の言葉じゃないとタイムリーな情報が得られない。
- 口に出さないと誰もわかってくれない。
- 時間通りに事が進むことがほとんどない。
- 自分で責任をもって行動しないと、安全が保証されない。
- 文化や習慣が全然違う。
一見、面倒で嫌なことばかりに見えるけれど、私はいつもこんなところに惹かれてしまう。「あぁ、ここで生きてみたいな」と毎回思うのです。それは多分、これらの事実の裏側にある部分を私が求めているからかもしれません。
つまり、「自分で考えて、それを口に出して、時には周りに助けてもらって、予定外のことも受け入れて、危険を回避して、自分を大事にして、多様性に溶け込む」それが私の居心地の良い場所。そこには日本で感じていた窮屈さはありません。
日本にいるとき、私は割と自由に発言する、好きなように行動するタイプだったと思います。というか、そういられるように努力していました。言ってみれば「自由に生きている”風”」だった訳です。ある程度好き勝手に発言しても周りに許してもらえるように、キャラクターとして育てていた感じ。
それでも、やっぱりどこかで人と比べている自分がいる。というより、人からの「見られ方」を気にしている自分がいる、と言ったほうが正しいのかもしれない。
まぁ、「勝手にやってるんだから、勝手にやめたらいいじゃん。そんな自分。」
そう言ってしまえばその通りなのですが、現実はそうもいかない。ちょうどいい立ち位置をキープしたほうが結局自分もラクだから、もはや無意識でバランスを取っている。服も髪型も話し方も話す内容も。

海外に行くと現れる、そのままの私。
大前提として、言葉の壁があります。私は英語も流暢に話せない。でも、話さないと伝わらない。日本みたいに察する文化がほとんど無いから言わないで黙っていたら、「なんで口に出さないの?それじゃわからないよ。」と置いて行かれる。
だから私は、日本にいるときより「私はこう感じている」「私はこうしたい」をよく口にします。しかも、遠回しに伝えるほどの語学力もないから、かなりストレート。でも相手も私が外国人なのはわかるから、何とか理解しようと耳を傾けてくれる。
更に言うと、頑張って口にした私の意見がそのまま通るわけではなく、多くの場合「私はこう考えてる」「僕はこうしたほうが良いと思う」と返ってくるのがなんだか面白い。相手をおもんばかって先回りするのではなく、直接聞きながら進める感じが好きなのです。
大好きなアメリカもそうだったけれど、ここメキシコでも「あなたはどうしたいの?」と毎回のように聞かれる。周りや目の前の相手は関係ない。だから私も常に自分の気持ちを口に出せるよう、”今、私はどう思っているか”を考えて過ごすようにしています。
語学力がなくても、自分に自信がなくても、今ここで生きるためにやるしかない。自分の感覚を全部使って生活する日々が、なんだか心地良いんです。周りの目を気にする余裕もないし、なんなら周りの人たち(今の私の場合はメキシコ人)がそういうのを全然意識していないから、気にする必要もない。
生き辛さは、どこからくるのか?
ずっと考えていて、ようやく行き着いた答え。それはやはり、幼いころからある程度の枠にはまって生きてきたことに対する窮屈感だと思います。
そして海外に行くようになって、「あぁ、こういう風に生きたい」と感じる経験が積み重なり、それまでぼんやり感じていただけの”窮屈感”が増幅し、「私はなぜいつまでも日本にいるのか」自分の中でわからなくなった。
日本で生活していたときは「これが当たり前」と思って意識すらしていなかったけれど、人は本来みんな違うもの。”こうするべき”なんて、自分を抑える必要はないはず。
それでも、小さな頃から「人に迷惑をかけないように」「みんな横一列に」と教えられてきた私たちにとって、大人になってから急に自由に生きるのは難しいし、もはやある程度の制限があったほうが生きやすい人もいるのかもしれない。
でも、根っこに「人と同じは嫌」「慣習に従うのが嫌」という感覚がある私にとって、何年経っても変わりそうにない日本の ”当たり前” は、窮屈なものでした。
学校や会社に細かな規則があったり、服や髪型の流行りを気にしたり、芸能人のクスリや不倫に騒いだり、流れてきたニュースに一斉に飛び付いたり。テレビやネットでは「日本は島国だからもっと世界に目を向けなきゃいけない」なんてずーーっと昔から聞こえてくるけれど、やっぱり外から見た日本はあんまり変わっていない気がして。
残念ながら「私が日本を変えてみせる!」と思うほど愛国心みたいなものがあるわけでもないので、時間はかかったけれど、ようやく外に飛び出しました。時間をかけても変わるかどうかわからない環境より、今すぐ刺激を受けられる環境に身を置きたい。
そうやって私は、「日本じゃないどこかに住んでみたい」という想いのもと海を越えてきたわけです。年なんて関係ない。数年後が不安なんて、今考えることじゃない。そもそも生きているかどうかも分からないし。
日々、生活の中で求められる小さな決断の数々。その波に流されないように、しっかり自分の足で踏ん張って、たまに足跡を確認して、どこでも生きられる私になりたいと思います。
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次回は、2019年10月に降り立ったアメリカを振り返ります。大好きなアメリカに住む夢はどうしてこんなに早く散ったのか。お楽しみに!
(かっしーの感想)
日本はハイコンテクスト文化とは言いますが、ハイコンテクストって合う合わないがあるんですねぇ・・。
ハイコンテクストとは、コミュニケーションや考えの共有を図るときに、前提となる文脈(言語や価値観、考え方など)が非常に近い状態のことを言います。経済力、文化度、や民族性などが近い人が集まっている状態であり、日本では「空気を読む」などと言うことも。コミュニケーションの際に互いに相手の意図を察し合うことで、「以心伝心」でなんとなく通じてしまう環境や状況を指します。
思っていることを言葉にして適切に伝えるって、以外と難しいことです。
私はそんな「言語化出来ない想い、葛藤」みたいなものを一緒に整理して言葉にしていく面白みがあるから、キャリアカウンセラーをやっていますが、伝えていく楽しさ・伝えなきゃ置いて行かれる感じといったものが、逆に居心地の良さを生むことがあるんですね。
なるほど発見。人生日々精進ですなぁ。
北原 和司子 (きたはら わかこ)
(株)JALカーゴサービス、(株)リクルートジョブズを経てウイッグ事業で起業。その後メーカーでの新卒採用業務やスナックでの接客、住宅情報誌&ネットのADなど幅広い業界を経験し、フリーランス営業へ。現在は海外移住を目指しメキシコシティにて奮闘中。
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