こんにちは。メキシコ在住フリーランスのワカです。
連載第7回。前回はアメリカ移住を諦めた経緯を記事にしましたが、今回はその先のお話。(これまでの記事はコチラから。)
なぜメキシコにしたのか?
日本に帰る選択肢はなかったのか?
アメリカに住みたかった私が、隣国メキシコに渡った流れを書いてみたいと思います。もともとメキシコに興味があったんじゃないかって?答えはNOです。なんと、予備知識も何もないまま足を踏み入れました。それではスタート!

突然出てきた「メキシコ」という選択肢
10月いっぱいをアメリカで過ごした私。最後に訪れたLAで、「メキシコの大学に行ってみたら?」という突拍子もない提案が飛び込んできました。話の相手は、在米歴30年近い私の母の親友(日本人)Yさん。
Yさんは米国公認会計士であった元旦那さんと離婚した後、専業主婦から一転、40代でアメリカの大学を卒業して政府認定のナニー(日本でいう保育士さん)として様々な背景を持った赤ちゃんや子どものお世話をしている方。「保護者や政府担当者と話すために必要だと思ったの!」と62歳でMBAまで取った強者です。
アメリカに住むのを諦めた話、とりあえず旅行でメキシコに3週間行くことに決めたことなどを報告していたら、「そうね。アメリカはなんだかんだ学歴や専門性がモノを言う(特にマイノリティであるアジア人にとって)から、ワカちゃんは難しいかもよ。ここで暮らすって、ほんと甘くないから。」と厳しいお言葉。しかし、それに続けてこんなことを言われたのです。
「スペイン語はアメリカでも需要がある。将来的にここに住みたいなら、ひとつのスキルにはなるよね。しかも、もし大学に行こうと思うなら専門性も身に付くし、メキシコの学費は驚くほど安い。食事も美味しいし、親日家が多いから住みやすいはず。」という言葉がどんどん出てきました。
初めは「え?メキシコに住む?私が??」と目を丸くしていましたが、もともと想像もつかないことにワクワクする性格、だんだん乗り気になっていきました。単純ですね。そうと決まれば、まずは情報収集。アメリカ移住を勢いに任せて失敗した教訓を生かし、学費や生活費、治安やメキシコの文化について調べました。
が、しかし。
日本語でも英語でも、思ったほど情報が集まらない。真偽が不明。もうこれは、現地で情報を得るしかない、と心に決めました。そして11月に入ってすぐのこと、私はメキシコシティに向けて旅立ったのです。
アメリカ人からの後押し。
もうひとつ、私がメキシコに興味を持った理由があります。それは、10月にアメリカ各地を回っていたときに「メキシコに旅行するよ」と私が話したときの彼らの反応。
日本ではメキシコと聞くと、陽気なイメージを軽く覆せるほど「治安が悪い」「麻薬大国」などの不安要素が語られがち。実際私もそうでした。
でも、アメリカでは全く違うことを言われたのです。「治安が悪いなんて、一部の地域の話。外国人が住むような場所は心配ないよ。アメリカと同じレベルじゃない?」と。さらに、文化、食事、スペイン語を習得する意味、メキシコ人の親しみやすさなど、魅力のほうをひたすら力説されました。
毎年メキシコに足を運ぶという人にも数人出会い、俄然興味がわいたのは事実です。私の知らない地名、私の知らないメキシコのイメージ。あまりにも想像できなさ過ぎて、実際にこの目で確かめなければ!と思いました。

なぜ日本に帰らなかったのか?
それはそうと、目的としていたアメリカ移住が叶わなかった時点で、なぜ帰国を視野に入れなかったのか?
これについては簡単な話で、まったく頭に浮かばなかった。ただそれだけです。もともと日本で住む家も仕事も荷物も全て片付けて、スーツケースひとつで飛び出した私。帰りたい気持ちも、帰るという選択肢もありませんでした。
LAのYさんと私の話を横で聞いていた母(そのときYさんに会いに渡米していました。)も「多分、あなたはどこでも生きていけるよ。私には想像できないことだけど。(苦笑)」「なんだか全然理解できないけど、(我が娘が選ぶ場所は)日本じゃないってことはわかる」と言っていました。日本じゃないところに住む、という(とりあえずの)ゴールだけが決まっていて、その過程は「私が嫌じゃないことなら何でもOK」という緩い枠組みしかありませんでした。
計画が頓挫しても、予定が大幅に変更になっても不安を感じない強心臓。そしてそれでも動ける行動力。コネも学力も信念もないけれど、「結局なんとかなるし、なんとかする。」と思えることが私の強みかもしれません。
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かくして、私は未知の国メキシコに降り立ちました。当初は完全に旅行のつもりだったけれど、「もしかしたら、私はメキシコに住むことになるかもしれない」と思ってからは、全く観光地の下調べをしていなかったので、遊び歩く予定すらない、個人視察旅行状態。
とりあえず滞在する3週間の間に、大学や仕事について調べてみようと思いました。(……と言いつつ、そのときの私のGoogleMapには、日本大使館とUNAM(メキシコトップの国立大学)だけが「スター付き」で保存されていただけ。荒い準備!)
今回はここまで。次回は、実際にメキシコの地に足を踏み入れたときの話を書きたいと思います。Hasta luego!
かっしーの感想)
なんとかなるし、なんとかする。で動ける人は自己効力感(よくわからない状況でもなんとかしようと思える自分への期待が強い)の強さなんだろうなと思いました。セレンディピティを上手く使いながら道を切りひらかれるんですね…。
なぜメキシコなのか、どうしてメキシコにいったのかはよく分かりましたが、実際メキシコってどんな場所なんだろう!?気になる!
北原 和司子 (きたはら わかこ)
(株)JALカーゴサービス、(株)リクルートジョブズを経てウイッグ事業で起業。その後メーカーでの新卒採用業務やスナックでの接客、住宅情報誌&ネットのADなど幅広い業界を経験し、フリーランス営業へ。現在は海外移住を目指しメキシコシティにて奮闘中。
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